Plusalphatodayツイッター

いきものがかり山下穂尊が脱退 作曲や執筆の道に グループは2人で継続

(2021年6月2日18:45)

いきものがかり山下穂尊が脱退 作曲や執筆の道に グループは2人で継続
(いきものがかりの㊧から水野良樹、吉岡聖恵、山下穂尊=公式サイトから)

人気グループ、いきものがかりの山下穂尊(38)が今夏をめどにグループから脱退することが2日、発表された。山下は作曲や執筆などの創作活動をはじめとする新しい道に進むという。3人でのラストライブが6月10、11日の横浜アリーナで行われ、その後は水野良樹(38)と吉岡聖恵(37)の2人で活動を続ける。

いきものがかりは公式サイトで「今年の夏をもってメンバーの山下穂尊がグループを離れることになりました。山下は今後、芸能的な活動からは離れ、この先の人生を進めていきます。いきものがかりは吉岡と水野の二人で、新たな日々を歩んでいくことになります」と3人の連名で発表した。

「結成から22年が経ち、多くの皆さんとの出会いに恵まれ、自分たちの身の丈を超えた夢をいくつも見ることができました。これまでの『3人のいきものがかり』の活動が自分たちの力だけで成り立ってきたわけでないことは誰よりもメンバー自身が深く感じています。そのうえで、それぞれの人生の行く先を考える年齢になってきました」としている。
「ひとりひとりが、どうこれからを生きていくのか。少しわがままかもしれませんが、自分自身に正直にならざるを得ない時期を迎えています」とした上で「放牧(活動休止)をしてみたり、独立をしてみたり、紆余曲折の旅を続ける中で、音楽やグループに向ける気持ちが、山下と他の二人とで、少しずつ違うものになってきたことを感じていました。 いきものがかりの活動や芸能の世界とは違う場所で、自分の人生を自由に模索してみたい。表舞台に立つ仕事とは違う道に進むことも幸せなのではないか。そんな思いが山下の中で強くなっていました」という。
「 山下からグループを離れたいという意思を伝えられたとき、吉岡・水野も多くのことを考えました。そのことについて話し合ったのはもちろん1度だけではありません。かなり以前の時期から、何度かにわたって、互いの気持ちを伝え合う機会がありました。しかし、結論は簡単には出せませんでした。 やがて世の中はコロナ禍に入り、度重なるツアーの中止など、自分たちも予想もできない事態の対応に追われていました。話し合いの答えを出せないまま、区切りをつけるのが難しい日々でした」。
「ですが、この春、アルバムをリリースし、やっとツアーも実現できたところで、改めて山下からこの先についての申し出がありました。3人それぞれを尊重する。それが結成以来、僕らが言葉にするまでもなく大事にしてきたことです。多くを語り合ったうえで、そこに立ち返ったときに、別々の道を歩むことも、それぞれの人生を前に進めるためにはありえる選択ではないか。そう考え、決断しました」と山下の脱退を了承した経緯を説明。
そして「吉岡・水野は音楽を、そしていきものがかりを続ける意志を持っています。山下も、それを強く願ってくれています。吉岡・水野は山下が今までとは違う道で、まさに二人が大好きな“山下らしい姿”で、自由であり、おおらかであり、そして優しさを携えた人間として、前に進んでいってくれることを願っています。メンバーから“友人”に戻る山下に、新しい毎日を大切に過ごしてほしいと思っています。悲しくないと言ったら嘘になりますが、僕ら3人は、これがもっとも僕ららしい選択なのではないかと今は考えています。3人でのいきものがかりを応援してくださっていた方々には残念な気持ちにさせてしまって、本当に申し訳ありません」とつづった。
そして「どうか、新たな道へと進む山下。そして、いきものがかりとして歩み続ける吉岡と水野。この3人をあたたかく見守っていただけたら幸いです」と締めくくった。

3人は別々のコメントも発表した。

■水野良樹

「6歳のときに出会って、友達になって、メンバーになって。18歳のときに近所の公民館のベンチで穂尊と「こんなことできたらいいよなぁ」って企んだことは、ほぼぜんぶ叶って。今、38歳になって、振り返れば「楽しかったな」と言えてるんだから、俺たちは幸せだったんじゃないかなと思います。だって、あの頃の自分たちが目の前にいたら「おい、うまくいったぞ」ってたぶん言っちゃうと思うし。最高だったよな、ほんとに。信じられないよ。これから、久しぶりに俺らは別々のことをするんだから、精一杯楽しもう。ありがとう。これからもよろしく」

■山下穂尊

「いきものがかり、そして山下穂尊を応援していただいている皆様、並びにお世話になっている皆様。突然のご報告になってしまったこと、申し訳ございません。私、山下穂尊はこの夏をもってグループから離れ、表舞台に立つ芸能活動からは退く決断をいたしました。皆様に支えられながら長きにわたり活動が出来たことには本当に感謝しかありません。様々な活動をしていく中でかけがえのない出会いや別れをたくさん経験させていただきました。奇跡のような景色も観させてもらいました。今回の決断に関しましては、昨日今日に決めたことではなく、長い時間、自分なりに考え、メンバーとも何度も相談して結論を出しました。この一年以上、様々に社会状況が変化していく中で、果たして自分がいる場所、するべき事、生き方、とは何だろう、とずっと考えて参りました。約22年間の活動で見させてもらえた世界の素晴らしさ。一方でこのグループを続けていては見ることのできない世界への憧れ。自分の中ではこれまで、両者のあいだでの葛藤がどうしてもありました。
40代を目前に差しかかり、自分の人生を、経験を、これからどうして行くべきか。 我儘とはもちろん理解していながら、話し合いを重ねて、メンバーそしてスタッフの皆さんも最後はあたたかく背中を押してくれるとの事でした。そちらも感謝しかありません。個人的なことですが、元々人前に出ることが苦手な性格の自分が、このように長きにわたって皆様に支えられながら歩いてこれたことには重ね重ね感謝しております。
これからは自分ともう一度向き合いながら歩いて行きたいと思います。表に立つことからは退きますが、創作活動などは引き続き行っていきたいと考えております。 何がこれから生まれていくか、どうかあたたかい目で見守っていただけたら幸いです。 2人になるいきものがかりは少し違和感があるかもしれませんが、2人の歩みもこれから楽しみにしています。
改めまして、スタッフ、関係者の皆様、そして何よりもとてもとても長い間応援していただいたファンの皆様、本当にありがとうございました。また一つ、成長したいと思います」

■吉岡聖恵

ファンの皆様、いつも応援してくださる皆様、突然のことで驚かせてしまい申し訳ありません。学生時代から、気付けばもう22年間、いきものがかりを3人でやってきたんだなぁと実感しています。3人でいることが当たり前の日々でした。
今回の発表に至るまでには、3人で何度も膝を突き合わせてたくさん話をしてきました。今回の山下の決心は、“山下穂尊が、より山下穂尊らしく”、より自由に生きていくための選択だと思っています。
彼は表舞台からは退く決断をしましたが、昔から時間があればバックパッカーとして海外に旅に出たり、アウトドアの世界に没頭したり、音楽だけでなく様々な分野に興味を持ってきた多才な人間です。そんな彼の世界が、これからさらに大きく豊かに広がっていくことを信じていますし、これからも互いに切磋琢磨し、エールを送り合える仲間でいたいと思います。
皆様、どうかグループから旅立つ山下穂尊を、あたたかく見守っていただけたら幸いです。 新しい「いきものがかり」もより一層輝けるように、吉岡・水野で力を合わせて、精進して参ります。引き続き山下穂尊を、そして「いきものがかり」をどうぞよろしくお願いいたします。いつも穏やかな優しさで、いきものがかりを支えてきてくれて、本当にありがとう!これからもどうぞよろしくね!」

■いきものががり
いきものがかりは小中高と同じ学校の同級生の水野と山下が1999年2月1日に結成。ユニット名は2人が小学1年のときに一緒に金魚に餌をあげる「生き物係」をしていたことから命名したという。同年11月3日、吉岡聖恵がボーカルとして加入して3人組となり、2006年3月5日、「SAKURA」でメジャーデビューした。NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの鬼太郎」(2010年)の主題歌「ありがとう」がヒットして幅広い年齢層の支持を獲得。「YELL/じょいふる」(2009年)、「風が吹いている」(2012年)、「ラストシーン/ぼくらのゆめ」(2016年)など多数のヒット曲がある。NHK紅白歌合戦に2008年から11回出場している。