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ジェリー藤尾さん死去 81歳 「遠くへ行きたい」が大ヒット

(2021年8月14日17:50)

ジェリー藤尾さん死去 81歳 「遠くへ行きたい」が大ヒット
ジェリー藤尾さん(所属事務所の公式サイトから)

歌手で俳優のジェリー藤尾(本名・藤尾薫紀=ふじお・しげき)さんが14日午前4時52分、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を起因とする急性肺炎のため、横浜市内の次女夫妻の自宅で死去した。81歳だった。日本歌手協会が14日、マスコミ各社にファクスを送り、発表した。通夜、葬儀は近親者のみで執り行う。

藤尾さんは1940年6月26日、中国・上海生まれ。父親は元NHKアナウンサーの藤尾薫宏さんで、母親はポルトガル系イギリス人のオリヴィア・ヒスさん。1946年、上海から家族とともに東京に引き上げ、1956年に専修大学付属京王高校に入学。翌1957年、バンドボーイとなって米軍のキャンプを回り、新宿のジャズ喫茶で飛び入りで歌ったのが認められマナセプロにスカウトされる。
1958年、水原弘とブルー・ソックスのシンガーとして日劇のウエスタンカーニバルで初舞台。1961年「悲しきインディアン」でデビュー。1962年、NHKの人気番組「夢であいましょう」から生まれた「遠くへ行きたい」が大ヒット、日本レコード大賞候補曲となり作曲賞を受賞。 その後も、「ダニー・ボーイ」「誰かと誰かが」「指笛の丘」などをヒットさせる。
俳優としては1959年、「檻の中の野郎たち」で映画初出演。黒沢明監督の東宝「用心棒」(1961年)では三船敏郎演じる桑畑三十郎に斬られるやくざを演じて凄みを見せた。さらには日活「銀座の恋の物語」(1962年)で石原裕次郎のライバル役、東映「真田風雲録」(1963年)で真田十勇士のひとり、かわうその六、日活「拳銃は俺のパスポート」(1967年)で宍戸錠の弟分など独特なキャラクターで存在感を見せた。またテレビ朝日系「破れ奉行」(1977年)などテレビドラマにも多数出演した。
 最近もNHK「思い出のメロディー」テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」「夏祭りにっぽんの歌」「歌謡祭」などに出演、変わらぬ歌声を披露していた。2019年にテレビ朝日系「やすらぎの刻~道」で高級老人ホームに入所する元スター役で出演したのが最後の作品となった。
私生活では1964年、歌手で女優の渡辺友子(76)と結婚して2女をもうけたが1986年に離婚した。