大森一樹監督、急性骨髄性白血病のため死去 70歳 「ゴジラ」や高嶋政宏、斉藤由貴が追悼

(2022年11 月16日16:10)

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「ヒポクラテスたち」や平成ゴジラシリーズなどで知られる映画監督の大森一樹さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市の病院で死去した。70歳。「ゴジラ」の公式ツイッターや、大森作品に出演した高嶋政宏(57)や斉藤由貴(56)らが追悼コメントを発表した。

東宝「ゴジラ」シリーズの公式ツイッターは、大森監督の逝去を受けてコメントを発表した。
「『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSキングギドラ』等、監督・脚本としてゴジラシリーズを支えてくださった大森一樹監督が旅立たれました。昨年の「ゴジラ・フェス番外編」ではゲストにお越しいただき、当時のお話しを沢山聞かせて頂きました。大森監督に心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。

昨年5月22日に都内で行われた「ゴジラVSキングギドラ」の30周年記念イベント「ゴジラ・フェス 番外編 新宿総進撃」に大森監督が出席して、笠井伸輔アナウンサー、ゴジラ「平成VSシリーズ」のプロデユーサー富山省吾氏、キングギドラスーツアクターの破李拳竜(上の写真左から)とともにトークショーを行った。

■髙嶋政宏、斉藤由貴が追悼コメント

大森監督の「トットチャンネル」(1987年)でデビューし、「ゴジラVSメカゴジラ」(1993年)などの大森監督作品に出演した俳優の高嶋政宏(57)は以下のコメントを発表した。

「あまりの突然のことに、 ただただびっくりしました。
僕のデビュー作『トットチャンネル』 のオーディションの時、まったく受かると思ってなかった僕はアメフトの練習のあと、なんの期待もせず、デカいバッグかついで行ったんですが 「おまえ、 他のヤツはジャケットとか着てきてんのにアメフトのジャージみたいなの着てきてオモロいな!」と言ってくれたのがいまだに忘れられません。
その作品で幸運にも新人賞いただき、その夜の御祝いの食事会で僕がパリッと割ったバゲットの破片が飛んで行って事もあろうに監督の頬っぺたにくっつき、「ヤ、ヤバい!!!」と僕が思ったその瞬間、なんと何食わぬ顔で監督が、その破片をパクッ!と食べたのにはホントに笑わせていただきました。
デビュー当時はむちゃくちゃ優しく、それから年数が経つにつれて、 グサッとショック受けるような言葉を投げかける、 活動屋と、 今どきのクリエイターを合体させたようなスタイルを昭和の時代からすでに確立していた素晴らしい監督でした。御冥福を心よりお祈りいたします。」

「恋する女たち」などの大森作品に主演した女優の斉藤由貴(56)のコメント。
「まだぎこちない新人女優のふとした煌めきを一瞬で掬い取って映像に焼き付ける その手法は鮮やかで軽やかで、普段はおちゃらけているようなのに瞳の奥は厳しい そんな映画監督だった大森監督  早過ぎます。残念です。」

■大森一樹監督

(おおもり・かずき)1952年3月3日生まれ。大阪市出身。19'77年、「レンジロード急行」の脚本で城戸賞を受賞し翌年同作品にてメジャー映画監督デビュー。1980年、京都府立医科大学卒業。1983年、医師国家試験合格。1986年、「恋する女たち」(東宝)で文化庁優秀映画賞、第11回日本アカデミー賞優秀脚本賞・優秀監督賞受賞。1988年、文部省芸術選奨新人賞受賞。1996年、「わが心の銀河鉄道~宮沢賢治物語」(東映)が、第20回日本アカデミー賞優秀監督賞受賞。2000年4月から2005年3月まで、大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科の教授。2005年4月から大阪芸術大学芸術学部映像学科、同大学院、の教授を務める。
監督作品に「オレンジロード急行」(1978年)、「ヒポクラテスたち」(1980年)、「風の歌を聴け」(1981年)、「すかんぴんウォーク」(1984年)、「恋する女たち」(1986年)、「トットチャンネル」(1987年)、「ゴジラvsビオランテ」(1989年)、「ゴジラvsキングギドラ」(1991年)、「ゴジラvsモスラ』(1992年)、「シュート!」(1994年)、「ゴジラvsデストロイア」(1995年)、「ドリーム・スタジアム」(1997年)、01年:『走れ!イチロー』(2001年)、「悲しき天使」(2006年)、「ベトナムの風に吹かれて」(2015年)などがある。