ジェーン・バーキンさん死去 マクロン仏大統領が追悼「フランスの象徴だった」

(2023年7月17日12:00)

ジェーン・バーキンさん死去 マクロン仏大統領が追悼「フランスの象徴だった」
ジェーン・バーキンさん(Instagram/@janebirkinoff)

歌手で俳優のジェーン・バーキンさんが16日、パリの自宅で死去した。76歳だった。フランスのマクロン大統領はツイッターで「フランスの象徴だった」とバーキンさんを追悼した。

フランス文化省が同日、「時代を超越したフランス語圏のアイコン」と呼ばれたバーキンさんの死去をツイッターで発表した。
死因はまだわかっていないが、2021年に脳卒中、今年初めに肩甲骨を骨折するなど、近年は健康問題に悩まされており、公演や公の場への出演を控えていたという。

バーキンさんは1946年12月、ロンドンで生まれ、20歳のときに映画「スローガン」の撮影のためにパリに移り住み、フランスで名声を得た。1968年の映画の撮影現場で、彼女はこの映画のスターであるフランスの俳優・映画監督でシンガーソングライターのセルジュ・ゲンスブールさんと出会い事実婚のパートナーとなり1991年にゲンズブールさんが亡くなるまで続いた。囁くように歌うゲンズブールさんとのデュエット曲「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」(1969年)が過激な性描写で各国で放送禁止になったが世界的に大ヒットした。ほかにも「無造作紳士」(1999年)がTBS系ドラマ「美しい人」の主題歌に起用されるなどヒットした。
俳優としては、1967年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「欲望」ヤ「ナイル殺人事件」(1982年)、「地中海殺人事件」(1982年)など多数の映画に出演。2007年に「Boxes」で監督デビューした。

米誌「People」によると、バーキンさんは2006年のCNNのインタビューで、ゲンスブールさんとの関係を振り返り「彼と私は『ジュ・テーム』のおかげで、そして私たちが13年間も一緒にいたおかげで、あの奇妙な方法で最も有名なカップルになったのです。そして、彼は死ぬまで私の友人であり続けた。これ以上、誰が望める?だからパリが私の家になったの。私はここで養子になったのよ」と語っていた。

1960年代から70年代にかけてフランスでファッションアイコンとなり、世界で最も高価で高い人気を誇る高級バッグのひとつ、フランスの高級ブランド、エルメスのバーキン・バッグを生み出すきっかけとなった。

バーキンさんは18歳の時に作曲家のジョン・バリーと結婚して娘のケイト・バリー(2013年46歳没)をもうけたが後に離婚。ゲンズブールさんとの間の娘シャルロット・ゲンズブール(51)は女優として活躍している。1980年、フランス人監督ジャック・ドワヨンと出会い娘ルー・ドワイヨンをもうけるが破局している。

2011年3月の東日本大震災の発生を受けて同年4月に来日し復興支援のチャリティコンサートを行うなど世界各地でチャリティコンサートを行った。

フランスのマクロン大統領は、ツイッターで「ジェーン・バーキンは自由を体現し、私たちの言語で最も美しい言葉を歌い、フランスの象徴でした。 完璧なアーティストである彼女の声は、情熱的なものと同じくらい甘美でした。 彼女は私たちに決して忘れることのない曲と映像を遺してくれました」と賞賛して追悼した。