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池江璃花子が「報道ステーション」で激白 白血病闘病とパリ五輪への熱い想い

(2020年2月20日)

池江璃花子が「報道ステーション」で白血病闘病とパリ五輪への想いを語る
(19日放送のテレビ朝日系「報道ステーション」で闘病生活などを語った池江璃花子=YouTubeから)

競泳女子の池江璃花子(19=ルネッサンス)が19日、テレビ朝日系「報道ステーション」に出演して松岡修造氏(52)のインタビューに白血病との闘病や2024年のパリオリンピック出場を目標にしていることなどを語った。

現在の健康状態は「安定している」という。トレーニングを再開した。「筋肉痛がひどかった。やっぱり筋肉が落ちていて。できない自分が面白いんですけどある意味。でも、ここからどれくらいのスピードで自分が成長していくのかが、トレーニングしていて楽しみの一つでもある」と前向きに語った。

■「抗がん剤治療で髪の毛がすべて抜けますといわれ大泣きしたが、部屋に戻ってきたら意外とケロッと元気になっていた」

池江は病名を告げられ抗がん剤治療をやりますといわれ「抗がん剤治療で髪の毛がすべて抜けます」といわれてそれが一番ショックだったという。「大泣きしたが、部屋に戻ってきたら意外とケロッと元気になっていた」と明かした。「病気になったらなったで頑張るしかないなって、すぐ気持ちを切り替えた」という。「本心でポジテイブな気持ちになってました」。
一方でプレッシャーから解放された気持ちにもなったことを明かした。「正直アスリートしては良くない考えかもしれないけど、世界記録までもう少しというところまでいって、ランキングも世界1位っていうところで、東京オリンピックでは金メダル候補って言われるようになってから、やっぱり自分ではわからなかったけど、どこかプレッシャーがあって、もうオリンピックの事について考えなくていいんだっいう気持ちになった」という。松岡氏が「そこまで追い込まれていたんですね」というと「その時に初めて、意外とプレッシャー感じてたんだなと分かりました」と頷いた。
「オリンピック、金メダルっていう言葉から解放されて、ほっとしてポジテイブに切り替わったのかもしれない」という。

■「つらい思いをしている自分を見られることが正直いやなところがあった」

その後壮絶な闘病が続いたという。「吐き気がひどい時に、ずっとトイレに閉じこもっていて、凄いしんどくって、でも、この気持ち悪いのが一生続きわけじゃないから大丈夫と思って。絶対大丈夫、絶対いつか治ると思って」と語った。「そう言ってないと自分の気持ちがどんどん沈んでいっちゃうから、表面上は大丈夫、大丈夫って言い聞かせていました」。という。

「しんどい時でも毎日家族やいろんな関係者の肩がお見舞いに来てくれたり、なんか、つらい思いをしている自分を見られることが正直いやなところがあった」という。 「つらいとかしんどいとか、ここが痛いとかそういうことを全く言わなかったので、それが結構たまってしんどい時もあったりした」が「最終的にはやっぱり家族、関係者の支えがなかったら絶対乗り切れていないことだったなと思うし、すごく感謝しています」と語った。 そして「苦しんでいるときになぜ自分をさらけ出さなかったのか」と聞かれて「家族に迷惑をかけたくなかった」と言って涙を拭く場面もあった。

■「こんなに苦しい思いをするんだったら死んだほうがましと思っちゃって」

昨年3月にツイッターで「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」と報告していたが、当時を振り返って「あの時は体調悪くなって3日目ぐらいだったんですけど、そのあとの方がもっとしんどくて、携帯なんて絶対触れない、もうテレビも見られない、音も聞きたくない、ご飯も食べないという状況が2週間続いた」という。
「寝返り打つのもしんどかったという状況だったので、もう数千倍どころじゃない、人が感じる苦しいとはレベルが違う苦しさなんだろうなと思いました」という。「本当に一番しんどい時は死にたいと思いました」という。「こんなに苦しい思いをするんだったら死んだほうがましと思っちゃって」。
「でもその言葉を今だったり、後々考えたときにすっごい反省しました。なんでそんなこと思ったんだろうって」という。 1回目の一時退院のとき「凄い幸せだった。外に出られたことだったり、車に乗れたことだったり、外食できたことだったり、もうすべてが本当に幸せで、なんであの時あんなこと思っちゃったんだろう。こんなに楽しいことが待っていたのにという気持ちになって、絶対こんなこと思っちゃダメなんだと思いました」

■「パリが今の一番の目標です。パリに出られなかったとしても次(2028年ロサンゼルス五輪)がある」

昨年12月に退院。この時直筆のメッセージを発表して「2024年のパリ五輪出出場、メダル獲得」を目標に掲げた。
「パリに出られなかったとしても次(2028年ロサンゼルス五輪)があると思っています。次は28歳なので。パリが24歳で。自身があるわけではないんですけど、目標って絶対に必要だと思うし、水泳だけじゃなくて人生においても。だからパリが今の一番の目標です」とオリンピック出場への強い思いを明かした。
「いつの日か試合に出られたら、何秒くらいは絶対出しておきたいなあとか、そういうレベルでは考えているんですけど」「まだ泳いでもないのに、たまに泳いでる自分の姿も夢に見たりするんですよ。タイムも聞こえるんです。意外と早くて毎回ビックリしました」」という。

■「『ここまで元気になれた人間がいるから、あなたも元気になれるよ」と伝えたい」

この病気を通して何をつかんだかと聞かれて「病気になって、水泳が出来なくなって、水泳することが当たり前だったし、普通に生きて当たり前に生きて、ここにいるっていうのが当たり前になってたけど、それは私にとっては全く違って、ここにいることが奇跡だし、生きていることが奇跡って、気持ちがそういう風に変わりました」という。
病気になって学んだことが多く「自分が今どういう立場で、どういう気持ちで生きていくべきなのかっていう事を凄い考えさせられたので、自分の人生にとっては凄く大きなターニングポイントになるんじゃないかなと思います」と語った。
そして「この番組に出させていただいて、たくさんの方に見ていただくことで、病気の方たちにとっても、絶対希望を持って治療に励んでほしいし、『ここまで元気になれた人間がいるから、あなたも元気になれるよ』っていう事を伝えたいなって思っています」と語った。