アントニオ猪木さん死去 79歳 プロレス界をけん引し参院議員としても活動

(2022年10月1日17:30)

アントニオ猪木さん死去 79歳 プロレス界をけん引し参院議員としても活動
アントニオ猪木さん(Twitter/@Inoki_Kanji)

元プロレスラーで参議院議員としても活動したアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)が1日午前7時40分、心不全のために死去した。79歳。

猪木さんは約3年前から難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。最近体調を崩して都内の自宅で療養していたが1日朝になって容態が悪化して自宅で亡くなった。
8月24日には日本テレビ系「24時間テレビ」に車いすで両国国技館のステージに登場して生出演。やつれて言葉を発するのも辛そうだったが、トレードマークの「1、2、3、ダーッ!」を披露。これが公に姿を見せた最後となった。

猪木さんは1943年2月20日生まれ。横浜市鶴見区出身。14歳のとき、家族とともにブラジルに移住。1960年、力道山にスカウトされて帰国、日本プロレスに入団。1966年東京プロレスを旗揚げ。1967年日本プロレスに復帰した後、72年に再び独立し、新日本プロレスを興す。76年には柔道王ウィリエム・ルスカ、プロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリらと「格闘技世界一決定戦」を行うなどプロレス人気をけん引した。

1989年にはスポーツ平和党を結成し、参議院議員に初当選して史上初のレスラー出身の国会議員として政界入りした。1990年の「湾岸危機」では自らイラクに飛び、バグダッドでプロレスなどのイベントを開催して、イラクに人質となっていた日本人の解放にも貢献した。その後、落選を経て2013年に返り咲き、北朝鮮を度々訪問して外交活動を行ったが、2019年に体調不良を理由に政界を引退していた。