坂本龍一さん死去 71歳 「YMO」、「ラストエンペラー」で日本人初のアカデミー賞作曲賞受賞

(2023年4月2日0:30)

坂本龍一さん死去 71歳 「YMO」、「ラストエンペラー」で日本人初のアカデミー賞作曲賞受賞
坂本龍一さん(Instagram/ @skmtgram)

音楽グループ「YMO」などで知られる音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日に都内の病院で死去したことが2日、分かった。71歳。昨年6月にがんの「ステージ4」と公表し手術を受け闘病中だった。

坂本さんのマネジメント会社「キャブ」とエイベックス・エンタテインメントは2日、公式サイトで「わたくしども所属の音楽家/アーティスト 坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしました。謹んでご報告申し上げます」と発表した。
「2020年6月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」という。
そして「これまで坂本の活動を応援してくださったファンのみなさま、関係者のみなさま、そして病気治癒を目指し最善を尽くしてくださった日米の医療従事者のみなさまに、あらためて深く御礼申し上げます。
坂本自身の強い遺志により、葬儀は近親者のみで済ませておりますことをご報告いたします。また、弔問、ご香典、ご供花につきましても謹んで辞退申し上げます。」としている。
そして「最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します。
Ars longa, vita brevis.
芸術は長く、人生は短し」と伝えた。

■「YMO」「戦メリ」「ラストエンペラー」「教授」

坂本さんは1952年1月27日生まれ。東京都出身。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京芸術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動開始。1978年、「千のナイフ」でソロデビュー。同年、細野晴臣、高橋幸宏と「YMO」(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成。「テクノポリス」(79年)、「ライディーン」(80年)、「君に、胸キュン。」(83年)などのヒット曲を発表し、ワールドツアーを行うなど世界的に人気を呼んだ。
1983年に「散開」(解散)後はソロコンサートを行うなど音楽活動を続ける。さらには俳優としても活躍しデヴィッド・ボウイやビートたけしと共演した大島渚監督の映画「戦場のクリスマス」(1983年)の映画音楽で英国アカデミー賞作曲賞を受賞。ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」(1987年)の映画音楽では日本人初のアカデミー賞作曲賞を受賞。また同作でグラミー賞も受賞した。
1990年にニューヨークに拠点を移し、1992年にバルセロナオリンピックの開会式のマスゲームの音楽を作曲して、会場でオーケストラを指揮した。1993年、YMO「再生」(再結成)を発表して6月に東京ドームで2日間のライブを行った。

知性派で「教授」のニックネームで知られ、社会問題などにも積極的に発信し、つい最近も共同通信の書面インタビューで、神宮外苑再開発に反対する意内容の手紙を小池都知事らに送ったことを明らかにして「現存する樹木を伐採することなく開発する方策を検討していただきたい」などと訴えていた。 私生活では1982年にシンガーソングライターの矢野顕子と結婚。歌手の坂本美雨をもうけたが2006年に離婚した。

■がんとの闘病

坂本さんは2014年7月に中咽頭がんの治療に専念するためにコンサート活動などを中止することを発表。2015年8月、吉永小百合主演の映画「母と暮らせば」(山田洋次監督)の音楽で復帰。2021年1月、2020年6月にニューヨークで直腸がん及び転移巣の摘出手術を受けたことを公式サイトで発表した。2022年6月、がんの「ステージ4」で、両肺に転移したがんの摘出手術を受けたことを明かした。同年12月に配信されたピアノのソロコンサートが最後の公の場になった。