「父の最期を看取った日々」 芥川賞作家・高橋三千綱氏の娘が父の壮絶な闘病と生き様などをつづった迫真の著作

(2022年7月26日18:00)

「父の最期を看取った日々」 芥川賞作家・高橋三千綱氏の娘が父の壮絶な闘病と生き様などをつづった迫真の著作
「父の最期を看取った日々」(青志社刊)

昨年8月17日に死去した芥川賞作家・高橋三千綱氏(享年73)の娘の高橋奈里さん(42)が、父親の壮絶な闘病生活に母親とともに付き添い最期を看取るまでの体験や、父親の素顔などを赤裸々に綴った「父の最期を看取った日々」(青志社刊、22日発売)が出版された。

結婚して夫、娘とロサンゼルスに住んでいる奈里さんのもとに2021年1月、父三千綱氏から、「手術前のパンパンになったお腹の写真とともに」、「今腹水を抜いている」というメールが入る。そして2月に「腹水穿刺手術」を終え退院した父から、「パパは今、体が非常に悪い状態にある。まだうまく歩けない。最悪だな」などと知らせるメールを受けて「虫の知らせ」を感じて、小学校入学を間近に控えた娘と共に実家に帰省するところから同著は始まる。そして同年8月に亡くなるまで、母親(三千綱氏の夫人)とともに、壮絶な闘病を続ける同氏に寄り添い介護を続けた日々の描写は詳細にわたり、リアルで、ある意味衝撃的だ。様々な病名が登場し、医師のホスピス入所の勧めを拒否し在宅療養を選択し、途中で奇跡的な回復ぶりを見せたりと「最後の無頼派」といわれた三千綱氏の波乱の闘病生活が描かれていて最後まで一気に読ませる。

「父の最期を看取った日々」 芥川賞作家・高橋三千綱氏の娘が父の壮絶な闘病と生き様などをつづった迫真の著作
「6歳の時の私。初めて買ってもらった自転車の初乗りは、父と一緒だった」
(「父の最期を看取った日々」から)

三千綱氏は1974年、「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞を受賞。1978年、「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。「さすらいの甲子園」(1978年)、「葡萄畑」(同)、「真夜中のボクサー」(1982年)などの多数の小説や「こんな女と暮らしてみたい」(1982年)などのエッセイや漫画の原作など幅広い執筆活動で人気を呼んだ。
60歳を過ぎてから肝硬変と糖尿病を患い、家族は医者に「もう長くはないので覚悟してください」と余命を宣告されるが、奇跡的に回復を見せたりして10年以上闘病を続けた。その間も「ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病」(2016年、幻冬舎)など数多くの著作を残している。

「父の最期を看取った日々」では、芥川賞作家の娘ということで学校でいじめにあったことや、作家の娘としての幼少期の貴重な体験、父親の行動力や言動力、厳格な父親の愛情表現、父から受け継いだもの、愛人と隠し子の存在、父の遺言など家族にしか知りえない数々の貴重なエピソードが明かされているのも興味深い。

「父の最期を看取った日々」 芥川賞作家・高橋三千綱氏の娘が父の壮絶な闘病と生き様などをつづった迫真の著作
高橋奈里さん

奈里さんはあとがきで同著に込めた想いをこう書いている。「家族葬を終えた日、なんとなく私は父からのテレパシーを感じた。『奈里から友人たちにメッセージを。奈里から伝えてくれ』そして私は家族葬を終えたその日に、友人たちへ向けて近くに居たからこそ感じる事の出来た父の生き様、そして父の死を文字に起こした。私が伝えた文章に、父の友人たちの中には涙してくれる人もいた。この時、生まれて初めて、文字だけで人の感情が動くことを知った。父は自分の死と引き換えに、私に書く機会を与えてくれた。」

■高橋奈里(たかはし・なり)

1979年11月12日、東京生まれ。父親は作家の高橋三千綱氏。中学高校と剣道に打ち込み、中学時代には都大会3位、高校時代は三段取得。明治大学短期大学卒業後2年間の遊学期間を経て、リクルート求人広告代理店に100%新規営業職として入社。翌年には新人賞受賞し、3年目には営業マネージャーに昇進。7年間の営業経験を経て結婚を機に人事職に転職。32歳の時に生死を彷徨う大事故に遭うも奇跡の生還。その後、35歳で、ロサンゼルス在住の現在の夫と結婚を機に妊娠9か月でロサンゼルスへ移住。移住1か月後には娘を出産。現在は、ロサンゼルスを拠点にパラレルワーカーとしてレストラン、人材会社のリクルーターとして仕事をしながら、2021年、カウンセラーとして開業。コロナ禍の2021年春、重病の父と一人介護にあたる母の窮状を察知し日本に戻る。「4か月に及ぶ自宅での闘病は、壮絶なものであったが今後の人生を生きる上で貴重な財産となった。」(同著より)