広末涼子の夫、キャンドル・ジュン氏が会見 不倫報道直前に広末が離婚話 鳥羽氏の謝罪文に「怒りしか浮かばなかった」

(2023年6月19日16:15)

広末涼子の夫、キャンドル・ジュン氏が会見 不倫報道直前に広末が離婚話 鳥羽氏の謝罪文に「怒りしか浮かばなかった」
会見するキャンドル・ジュン氏(YouTubeチャンネル「TBS NEWS DIG」より

W不倫で無期限謹慎中の女優広末涼子(42)の夫でアーテイストのキャンドル・ジュン氏(49)が18日、都内で記者会見して、自身の活動や、メディアの報道の問題やネット上の匿名での誹謗中傷があることなどを訴え、さらには不倫が報じられる直前に広末から離婚話をされたことなどを詳細に明かし、「できれば幸せだった頃に戻りたい」と胸中を明かした。

■「妻広末涼子が育児放棄をしたことは一度もありません」

会見の冒頭で「キャンドル・ジュンこと広末ジュンと申します」と名乗り「私の妻広末涼子が多くの方々にご迷惑をお掛けしてしまい大変申し訳ありませんでした」と広末に代わって謝罪して深く頭を下げた。「そして相手方のご家族、親戚、ご友人、関係者の皆さんにもご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした」と再び頭を下げた。

そして「それでも、最初にまず、皆さんと、皆さんの先にいる、視聴されるのか拝見するのか、お伝えしたいことの一番は、妻広末涼子が育児放棄をしたことは一度もありません」としたうえで「私にとっても良き妻ですし、何よりも子供たちにとって最高の母であり、家族や親せきの中でも最も頑張る素敵な女性です」と広末を擁護した。

その後、アーテイストとしての自身の活動について語り、「キャンドル・ジュンは十代の終わりに一人暮らしをする際に、何のために生まれてきたんだろうか、何をすべきかと思い悩み自問自答する時間を多く持ちました。その際にキャンドルに出会い、どう死のうかではなく、どう生きようか、そういったことを決める指針になってくれたのもキャンドルでした。生きると決めたからには自分の命を作ろうと、キャンドルが寿命にたとえられる、そんな話もあると思いますが、自分で生きると決めたから命を作ろうと思いキャンドルを始めました」と説明した。

■「極力彼女の事務所や彼女の家族が望むことをかなえられるよう努めました」

出会ったころ広末は「心が不安定で、その後結婚してからの良き妻であり良き母である彼女とは180度違う人物でした」と明かした。

「結婚してからはたくさんのメディアに追われたリ、あることないこと書かれたリ大変でしたが家族は本当に幸せでした」という。
だが、事務所の社長から、広末とのツーショットを出すことや家族のことを語るのを禁止すると言われて約束させられたという。
当時はその本当の意味が分かっていなかったが「見た目も普通の人とは違いますし、胡散臭いだろうし、入墨も入っているし、ピアスも張っているし、マイナスだらけだということは自分でも認識していました」という。
「ですから極力彼女の事務所や彼女の家族が望むことをかなえられるよう努めました。キャンドルジュンは東京の夜しか生きていませんでした。夜の街で、様々な方たちと出会い、夜の街を照らすことが仕事の主でもありました。でも結婚してからは夜の街にも近づかないようにしよう、夜の仕事も断るようにしよう酒はその以前から飲んでいませんでしたが とにかくあることないこと書かれても子供たちに迷惑がかかるからいろんなことを変えてみました」という。

2001年に広島・宮島で原爆の残り火である平和の灯というものを灯すというオファーがあり、チベットのダライラマが呼びかけた音楽祭に参加するなど活動を続けてきたという。

■「過度なプレッシャーがかかったりだとか、不条理なことに出くわしたりとかそうなってしまうと…豹変してしまう」

そして広末の”異変”についても明かした。「自分が妻のことを、会社や家族や親族が一生懸命隠してきた、彼女が急変してしまう理由は、彼女があこがれだった芸能界に若くして入り、その当時の芸能界を自分は知りませんが、今よりも強烈なプレッシャーが…メディアの方たちの取材もそうかもしれません。テレビや製作サイドの人間たちも、芸能界はこうだからというプレッシャーがそうなのかもしれません。ありがたいことかもしれませんが熱心なファンの人たちの行動もそうなの衣かもしれません。そういった強烈な出来事が、まじめで優等生だった彼女を、全部何とか頑張って受け止めよう、求められることに応えようと必死になっていった先に、心が壊れてしまったんじゃないかなって思います」と語った。

「いつもメイクなんかしないし、美容だなんだっていうことも気にかけず、ひたすらに家事のことをしたり、子供たちの学校行事や子供の友人たちのお母さん達との仕事なんかに没頭していて、メイクだとか香水なんか全然つけないんです。でも過度なプレッシャーがかかったりとか不条理なことに出くわしたりとか、そうなってしまうと、濃い化粧をして、派手な格好をして、眠ることができず、常にに何かをかいていなければ心が収まらず、誰かに連絡をしたり豹変してしまうんです」という。

「結婚してから何度かそういうことがありました。自分は結婚したからにはもうそんなことはないだろうと思っていましたが、何度かあった際にも、事務所は今は我慢するときだ、隠さなければいけない。家族たちも彼女が場合によっては、社会的に不条理なことをしてしまっても黙って見守るしかできない。特に、自分や彼女の事務所社長よりも大変だったのは、彼女の母だと思います」という。

「本来であればおかしなことをしたら叱るのが母だと思いますが、叱ることで彼女が遠ざかってしまう。そういう状況になった彼女にものをいう人を遠ざける逃げてしまう。そういうこともあったので、彼女の母はずっとも耐えて自分たちの子供たちの面倒を見に来てくれていました」

「彼女の親戚たちもそうです。彼女の友人たちもそうです。いろいろ言ったら、もっと彼女がひどい人になってしまって、事情も分からない人たちに助けを求めてしまうだろう。そうなってはいけないから、彼女が気晴らしになるんだったら、朝までカラオケに付き合うよとか、飲みに行くのも付き合うよって。なるべく一人にしない方がいいからって」

「自分のそういった場面の時に戸惑いもありましたが、それまで彼女を守ってきた皆さんの中にとどめてきました」

■「脅迫電話やメール、誹謗中傷が送られてくる」

また、脅迫電話やメールがあったことも明かした。「家にも自分の電話にもメールにも会社にも、うちのお店にもスタッフにも、あらゆる脅迫電話や脅迫ファックスや手紙がずっと来ていました」という。

2011年1月にイベントを渋谷で開催したときには、「澁谷警察署に私の殺害予告があり、20~30人の私服警官が来て、いますぐイベントをやめろともいわれました。殺害されることはありませんでしたが、この一件をこれ以上犯人は誰なのかということを追求することもありませんでした」 「様々にやってきた剃刀の刃や拳銃の弾や脅迫文などは良い着警察に提出して相談しましたが、犯人がだれでああるというところまで追求することはありませんでした。最近ではメールやSNSなどに匿名での様々な誹謗中傷が送られてきます」という。

そして「今自分や相手の子供たちは、自分と自分の妻のせいで、妻の振り相手のせいでとんでもない被害者になっています。皆さんだけのせいとは思いません。自分がもっと早く彼女を止めていればよかった。もっと早く鳥羽氏の自宅に行っていればよかった。メディアよりも先にしていればこんなことにはならなかった。僕にも責任があります」と語った。

「でもどうかお願いします。こうしてこれだけさらけ出しても止まらないというなら、それを理由に今度は私が命を断とうと思います。これを脅迫と思ってもらってもいいです。かつてあったと思います。心無い誹謗中傷からいじめにあい亡くなった方がたくさんいます」と訴えた。

そして自分の活動の経験から持論を展開。「日本は唯一の被爆国であり平和憲法を持つ国です。こんなに豊かで、助け合うそんな国はないはずです。なぜなら長く続いいた戦国時代があって、その後の平和な江戸時代があるからではないでしょうか。その時に育まれた、お互いさまと助け合う文化が今でも根付いていて、どんなに不条理なことがあっても悲しいことがあっても、助け合うことの方を優先することの方がこの国の文化じゃないかって。自分は広島や長崎や沖縄や日本中を旅して被災が起こった場所に行って、体験した人たちに出会って、悲しみから憎しみにという人たちも、憎しみを持ってはいけないから、慈愛の心を持って生きてきた人たちの意であったから、自分も今の出来事を、憎しみに変えることはしてはいけない、常に相手のことを思いやらなければいけないって、そう思い…まあ、もともとろくでもない奴ですから、いまだに心の中には悔しい思いもたくさんですが、それでも、多くの約束をしてきている人たちと、ちゃんと約束を果たしたい。いつか広島や長崎の人たちのおかげで世界が学んで核兵器がなくなり、戦争がなくなり、核の平和利用ということで、あと原発、それもから福島の人たちから世界が学んでそうではない電力が当たり前になり、福島に世界中の感謝が集まるそんな日を迎えられるときまで、どんなことがあっても生きるって、そう約束してます」と語った。

「でも何よりも自分の幸せは、自分の子供たちと、自分の妻がいる家が一番幸せです」 といい、「だからいろいろ謝りますから、ものを言えない子供達の今を、相手方の家族や関係者の今をこれ以上追及しないでください」と言って立ち上がり、約15秒近く深々と頭を下げた。 

「結婚してからメディアに出ないと決めてましたけど、福島での活動のことは伝えなきゃいけないからということで、月命日は毎月やってますけど、復興住宅とか子供園でやることもあるので、部外者の人は呼べない時もあります。だからこそメディアの人は来てくださいと呼んでいました。6月11日の月命日も福島のメディアの人たちが来てくれていました。最後に挨拶をしたときに、今のように広島や長崎で約束したこと。『おめたち東京者の電気作ってたんだぞ』って言われたときに謝ったこと。その謝罪の気持ちで、今もこうして福島に通っていること。今ではこうやって自分だけではなくて、たくさんの福島の仲間たちが月命日を作ってくれることへの感謝、そんな話をとうとうと話していました」。
「だから、自分のプライベートなことで世間を騒がせていることがどんなにくだらないことか。そんなことで騒がせていてすいませんとも言いました」。

「その日に、ようやく相手方の奥さんの居場所が分かったから、これからけじめを取りますって言いました。奥さんの居場所が分かったからとはみんなには言いませんでしたが。ちゃんとけじめ付けますと。またそれで自分のプライベートなことでにぎやかにしますけど楽しんでくださいって。そしたら『けじめつけますお楽しみに』ってなりました」と明かした。

「福島のメディアの人たちは自分のプライベートなことではなくて、この月命日が、どうやって二本松の人たちが集まって寺でそういうイベントを作り上げたか、どういうメンバーで月命日のイベントをしたかって、そういうことをちゃんと取材してくれました。福島の人たちは強くてかっこいい人たちばっかりです。だからって福島に引っ越そうとかそういうことではないんですが、もし今後も何か自分に聞きたいことがあれば、その時に来てください」と語った。

その後、質疑応答になり、この会見を広末に伝えていたのかと聞かれ「伝えていません」と答えた。独断でのやむにやまれぬ会見だったようだ。時に涙をみせながらこの間のいきさつを語った。

「(W不倫が)発覚するちょっと前に、彼女のお母さんも子供の面倒を見に来てくれていました。自分がしょちゅう家を留守にするとメディアに書かれますけど、北海道どうだろうと沖縄だろうと、日帰りができるようなら極力家に帰っていました。彼女が大変な状況になっていたので、極力夜末娘を一人にできないので末娘と一緒に寝てあげなければと、必ず帰って寝ていました」という。

■不倫発覚直前に広末が子供たちに「パパとママは離婚するけど離婚するけどどっちと暮らしたい」

「自分と彼女の雰囲気が険悪だから何とかしてほしいと彼女のお母さんに言われて、彼女からはその時にも離婚してほしいといわれていましたが、その理由はと言ったら『夜中に電話するの怒るから』って。普段は彼女は仕事や家事で疲れて子供たちと早く寝てしまい 朝も早くから子供たちの弁当を作る。でもそうではない精神状態に陥ってしまったら、様々な人に電話したり眠れなくなってしまう。、今回もまたそういうことが起きた。でも頭ごなしに怒ってしまったら逆上してはいけないと思い、しばしだんまりを続けていたら『ほらまたそうやって怒る』といわれて」。

「それがきっかけで彼女が夜家を出るようになったんですけれども、そこから毎晩自分が末娘と一緒に寝ていましたが、長男も海外から帰ってきて『子供たちがママのことを心配している、何とかしてほしい』と母に言われたんですが、『せめていつ離婚するかでも言ってほしい』といわれて。彼女のお母さんも離婚を食い止めてくれると思っていましたがそうではなく、『いつ離婚するかだけでも言ってほしい』って言われ、それ以上会話することなく仕事に行ったんですけど」という。

「その日の夜に帰ってきたら、彼女が話があるといって『子供たちがママが毎晩大変だから心配している。あなたが出て行ってくれれば私が子供たちと一緒に寝れるから。あなたがいるから私が寝れないんだ』って。その時私は『あなたが今一番大変な状況なんだから家にいないで一人になったほうがいいんじゃないか』って言ったら、『子供たちはどうするの』って」

そして「『子供たちに聞いてみる』って言って、離婚の話とかまだ何もしていないのに、みんながいるリビングに行き『パパとママは離婚するけど離婚するけどどっちと暮らしたい』といい始め、長男や次男は『ママのこと守んなきゃということもあるからママといるよ』と。末っ子はただ泣くばかりで、その時にどこか自分の心が崩壊してしまい、もう自分が出ていくしかないってなり荷物をまとめて家を出ました」という。「それはメディアが騒ぐちょっと前です」。
キャンドル氏と広末は2010年10月に結婚。11年に男児、15年に女児が誕生している。広末は08年に離婚した前夫との間に長男がいる。

「そこからあっという間にメディアに出て、家にいるかと思っていたら、彼女と子供たちは事務所が安全な場所にということでそこにいたようで、自分は事務所やアトリエで寝泊まりするという日々でした。ですから平常ではいられない彼女と普通の話はできない、そう思っていました。彼女と相手方が謝罪文を出した日に彼女と電話で話し泣きながら謝罪の言葉をもらいました」。それ以降は話をしていないという。

■「最も自慢できる家族だったと思いますし、出来ればそのころに戻りたいと思っています」

離婚を受け入れるかと聞かれ「自分の幸せはこの12年、13年近くですけど、2年に1回ぐらい舞台など様々な仕事などいろんなことで彼女の心の安定が崩れること以外は最も自慢できる家族だったと思いますし、出来ればそのころに戻りたいと思っています」

そして「彼女や相手方や事務所側が一方的に主張したと一緒で、まずは自分なりの謝罪を相手方の奥さまのところに訪問したり会社や関係者のみんなと話をしたり、そしてこの会見をした後に、明日から弁護士の方にどうすべきかを相談していきたいなという風に思っています」と語った。

報道される前に鳥羽氏との不倫は知っていたのかという質問には「ある程度は」と答えた。「できればメディアに出る前に相手方に説明はしたかったなと思います」と語った。

また広末が鳥羽氏に送ったラブレターの内容が報じられるなどしたことで、ジュン氏が不倫を止めるためにリークしたのではないかとの推測もあったが「それはないです」と否定した。だが手紙があることは「一部は知っていました」といい、「でも自分からしたら、勝手な話ですけどSOSじゃないかなとも思いました」と語った。

以前に不倫があったとも明かした。「もう相手方と示談した話ですので詳しくは語れませんが、彼女のそういう内容を見て、相手を確認して、彼女にわからないように相手のところに行き決着をつけたこともありました。でももうそういうこともしたくないし、できればとどまってほしいなと、ずっとそう思っていました」という。

■「彼(鳥羽氏)の謝罪文を見た時に、怒りしか浮かばなかったです」

鳥羽氏については「彼からは謝罪がないんです。彼の謝罪文を見た時に、これからは料理に精進しますって締めくくられていたことに対して、何とも言えない気持ちになりました。自分は強いと思っています。どんなことがあっても、こういうことも自分を強くしてくれるチャンスだと。だから楽しんでいこうぜ、それこそ原発事故の福島に通う車の中で放射能が自分をさらに強くするんだ言い聞かせてもっと強くなるって言い聞かせてました。でもやっぱり、彼の謝罪文を見た時に、怒りしか浮かばなかったです」と語った。

「大人げないかもしれませんがだからと言って彼の店に殴り込みに行ったりじゃないです。 調べたら意外にもネットで彼の事務所の番号が出ていて、電話しました。受付の女性にキャンドル・ジュンと申します、キャンドル・ジュンこと広末ジュンと申します、鳥羽周作さんにアポイント取りたいんですけどというと、『どういったご用件ですか』といわれました。『今代表はリモートですから』って。その受付にも、大人げないかもしれませんが腹が立ちましたが、今世間を騒がしてることについて話がしたいのでお願いします。『電話番号も今出てますからその番号でいいですよね』って言われたので、じゃあ電話くださいとお伝えくださいと言われました」。3回電話した後に、鳥羽氏からジュン氏のパソコンにメールが来たという。

「この度は申し訳ありませんでしたっていう謝罪の文章でした。今日はほかに用事があるんでごめんなさいって言われました」という。
「自分は午前中から連絡をしていて、謝罪文を出したのはそちらであってその日に、自分が勝手に思ってるからかもわかりませんけど、謝罪を受ける側である自分がアポイントを取っていて13時にお店に行きますからと言っているのに、ほかの用事があるからまた後日って返事しますかって。『今日は近くにいないんですみません改めて必ず謝罪に行きますんで』ってまた返信がありました。じゃあ今日何時でもいいですからって返事しました」。
だが「後日必ず行きますから」ということで「そのメールでそれっきりになりました」という。

「何かあったら文書で謝罪。顔は出さない、一方通行だから皆さんたちも憶測かもしれないことを書かざるを得ないこういった体質は双方が作っていることなんじゃないですかって言いたいです」と訴えた。

改めて今後どうしたいのかと聞かれて「子供たちと彼女と、彼女を取り巻く、自分がいない時でも子供の面倒を見てくれている家族親戚たちと一緒にいたいなと思います」と語った。「とはいえこれだけのことが露呈してしまって、みんな苦しんでるなかで、今日の自分の発言がさらに彼女を苦しめるかもしれませんし、彼女お家族が守ってきたことを破ってしまったという風になっているかもしれませんし、どうすることが子供たちの一番なのかということを一番大事にしながら、彼女とこれから話をしていきたいなというのが今の考えです」と語った。

許してもう一回やり直すという気持ちはあるのかと聞かれ「許すっていうこと以前に、それはまた誤解を生むかもしれませんが、彼女が暴走してしまったのは自分のせいだという風に思ってますから、許すとかそういうことではないんです」という。

離婚話については「離婚話というか、熱くなってしまって、そういうことを言って、離婚理由はと言ったら『夜中に電話をすることを怒るから』って言われました。『それだけ』って聞いたら『そう』って」といい、「もう1回、前の時に『ジュンさんもこういう私といるのはつらいだろうから離婚したほうがいいんじゃない』っていうこと言ったことがありました」という。「でも、心が不安定になっているときのことだったので、また今回もそういう状況だと思って、こらえなければって思っていました」という 鳥羽さんのことが原因なのかとは考えなかったかと聞かれ「僕からしたら、たまたま相手が鳥羽さんだったとしか思っていません。まあでもここからはこれからのこととして、今も全然まともじゃないと思っていますけど、この後話をして決めたいなと思います」と話した。