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女優で冒険家の和泉雅子さん死去 77歳 「日活3人娘」吉永小百合・松原智恵子、高橋英樹、浜田光夫が追悼
(2025年7月19日11:30)

日活青春映画などで女優として活躍し、日本人女性として初めて北極点に到達した冒険家の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日、原発不明がんのため死去した。77歳だった。18日、所属事務所の和泉雅子事務局が発表した。
和泉さんは5月に自宅で倒れ入院し、退院後は自宅で療養していたが、今月9日に体調が急変し亡くなったという。生前葬を営んでいて個人の遺志で葬儀は行わないという。
和泉さんは1947年7月31日生まれ。東京・銀座出身。泰明小学校在学中の11歳のときに劇団若草に入団して東宝「荒城の月」(58)、松竹「風花」(59)などで子役として活躍。61年、精華学園中学2年の14歳のとき日活入社。同年二谷英明主演のアクション映画「七人の挑戦者」で本格デビュー。石原裕次郎主演「銀座の恋の物語」(62)などに助演し、「若い爪あと」(同)で初主演。純愛映画「ひとつのいのち」で高橋英樹を相手に主演。共に61年入社の若手スタ―コンビで「男の紋章」シリーズなど多くの作品で共演した。浜田光男と共演した主演作で浦山桐郎監督の「非行少女」は、モスクワ映画祭の金賞を受賞した。また「交換日記」(63)、「二人の銀座」(67)などで山内賢と共演。吉永小百合、松原智恵子と「日活3人娘」と呼ばれて数多くの日活青春映画で活躍。
67年に日本テレビ「こんにちは結婚・ウェディングドレス」に主演し、68年に日活を退社後は活躍の場をテレビに移行。NHK「陽のあたる坂道」(68)、TBS「ありがとう」(70)など多数のドラマや、舞台に出演した。またベンチャーズの曲をカバーした山内賢とのデユエット曲「二人の銀座」(66)がヒットした。
83年、テレビ東京系のドキュメンタリー番組で南極に行ったとをきっかに北極に挑戦。85年に遠征隊を組織して北極点を目指したが途中で断念。89年5月に2回目の挑戦で日本人女性として初めて北極点到達に成功した。「私だけの北極点:北緯88度40分」(85)、写真集「ハロー オーロラ!和泉雅子」(94)を出版した。
■「日活三人娘」の吉永小百合&松原智恵子が追悼
和泉さんの訃報を受けて、和泉さんと「日活三人娘」と呼ばれて数多くの日活青春映画の看板女優として活躍した吉永小百合(80)と松原智恵子(80)は18日、追悼のコメントを発表した。
吉永小百合
「日活時代、まあ坊、サーネーチャンと呼び 合いとても仲良しでした。休日に、目の不自由な方たちのためにと、我が家で「銀河鉄道 の夜」をテープレコーダーに吹き込んだこと、忘れられません。冒険家になられてからは、ほとんどお会い出来ませんでしたが、今、銀河鉄道の彼方に飛んで行ってしまわ れたのですね! ご冥福をお祈り致します 。」
松原智恵子
「和泉雅子さんの訃報をきき、信じられない想(おも)いです。日活OG会でお会いしたのが約3年前です。その時はお元気そのものでいつものようにおどけて、みんなを笑わせてくれていました。そのまさこちゃんが........ ご冥福をお祈りいたします。」
■高橋英樹「私の日活映画時代に 一番共演が多かった方でした」
「男の紋章」シリーズなどで和泉さんと共演した高橋英樹は18日、自身のブログに和泉さんと共演した映画の写真を投稿して和泉さんを追悼した。
「大変!驚きました! 本当に 突然も突然!
昨夜に奥さんと 雅子ちゃんのことを 話していたばかりでした。
私の日活映画時代に 一番共演が多かった方でした その頃は お互いに
学生気分で、撮影に臨んでいました
私の足が短いからと、「ダックスフント」とあだ名をつけたのも、雅子ちゃんでした
若い思い出が一杯で 涙も引っ込んでしまうほど 胸がつまります。
雅子ちゃん また いつか そちらで共演しようね
ご冥福をお祈りいたします。」
■浜田光夫「彼女の気迫に満ちた演技は素晴らしかった」
「非行少女」(63)などで和泉さんと共演した俳優の浜田光夫は18日、追悼コメントを発表した。
「突然の和泉雅子さんの訃報、ただただ驚いております。共演した作品の中でもモスクワ国際映画祭で金賞を受賞した『非行少女』の彼女の気迫に満ちた演技は素晴らしかったです。残念でなりません。ご冥福(めいふく)をお祈りいたします」